昨日は「電車男」についてのみクローズアップしたが、本欄5月19日「ネット世代とPC世代を分ける「インターネットの隠れた本質」」には、たくさんのトラックバックをいただいた。最近、日本企業の経営者と話をするたびに、「若い頃からネットを当たり前の存在として育った世代(1970年生まれ以降と粗っぽくわかりやすい仮説で世代を定義)は、我々の世代やあなた方の世代とは全く違う感性や感覚を持っているので大切にしたほうがいい、彼らが考えていることをきちんと理解できなくとも虚心に話を聞いたほうがいい」と薦めるようにしている。
「信頼の有無」だけではない世代の違い
5月19日のエントリーへの反応では、世代間に何らかの違いが存在することについての疑義は少なく(世代で括って議論することへの批判はむろん相変わらずある)、若い世代の人たちから、「違いがあるのは当然だが、筆者が説明しているような違いとはちょっとニュアンスが異なるんじゃないかな」的なコメントをいくつかもらって、たいへん参考になった。今日ご紹介する内容は、先週の日本出張での講演やら経営者との議論でもずいぶん活用させていただいた。CNET Japanのオフミーティングのときも、「いろいろと批判はあるようだが、本件について僕は確信犯なので、またしつこく書いていくつもり」と言ったら、大爆笑されてしまった。前回「粗っぽいながらも今考えていることだ」として提示した「「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」への「信頼の有無」」というキーワードに拘るつもりは全くなく、色々なご意見を受けて、さらに考えていきたいと思っている。
インターネットを生活の場としてとらえる
まずは、Programmer'sEyeの「インターネットを生活の場に出来るか?」。
「在る同じ時代に、二つの世代がいるとき、そこには必ず何らかしらの「劇的な価値観の変化」がおきているものだと考えられるだろう。」
「「インターネット世代」と「PC世代」という二つの世代を分けるものがあるとすれば、「インターネットを生活の場としてとらえる」事ができるかどうかと言えるのではないだろうか。」
「私は、「インターネットが変えた価値観」は、「情報を持つことの価値」だと思うのだ。コンピューターの進歩が情報の蓄積を容易にし、インターネットは情報の流通の距離をなくしたことで、「情報を持つことの価値」は、昔よりも、著しく下がったのではないか。(略) 「インターネット世代」は「情報をもつことの価値」は著しく下がったが「情報を生み出すことの価値」を高く評価するようになっているということ、だと考えている。」
「インターネット上で「情報を生み出すことの価値」に重きをおくということは、インターネット上にて「生活」する、ということだと、言えはしないだろうか。」
「「インターネットを生活の場としてとらえる」事ができるかどうかというのは、とてつもなく大きなパラダイムシフトだとおもう。そして、それを「受け入れられるかどうか」ということについては、やはり、「世代」というものが出来てしまうのではないだろうか。」
これを書かれたSyulen氏の問題意識を、「デジモノに埋もれる日々」Blogの「私たちがネットを通して見ているもの・築いていくもの」は、こう要約されている。
「syulenさんのblogでは梅田さんのblogを受け、「ネット世代」に起こった変化について、情報を「保持する」ことの価値が著しく低下して、(持つ者/持たざる者という区別の無意味化)情報そのものの価値・情報を生み出すことの価値に向き合い始めたことだと表現されています。そして、他人の評価を欲し、自分の評価・価値を高めるという現実世界の行動原理をネットにも当てはめること、すなわち「ネットを生活の場として捉える」という概念が新しいとしています。」 (うまいなぁ、この人の要約は!)
ネット上の対人関係に価値を見出せるか
そしてご自身の意見としては、
「私の興味あるテーマとは「ネット上の対人関係に価値を見出せるかどうか」です。」
と前置きし、この「ネット上の対人関係に価値を見出せるかどうか」という漠とした大きな問いならばYESと言えても、次の3問にはYESと言えるかな、と踏み絵を用意している。
「 A.あなたは、ハンドルネームしか知らない相手に「人格」を認めて、対話できますか?
B.あなたは、ハンドルネームも無い匿名の相手に「人格」を認めて、対話できますか?
C.あなたは、ネットでのみの関わり合いを、自分の「生活」の一部として認めていますか?
この問いにどこまで「Yes」を認められるか、その辺りが私にとってのネット人の境目です。ちなみに私は全て「Yes」ですが、勿論「Yes/No」が入り混じっている方も多いことでしょう。」
昨日の「電車男」も、ABCのすべてにYESでしょうね。
「その一方で、ABCに対して恐らく1つも、心の底からは「Yes」とは思えないという方々がいらっしゃると思います。そうした方々から、私は何度もこんな言葉を聞いてきました。
「所詮、匿名なヤツは、匿名ナリのことしか言わんし」
この背景に見え隠れするのは「まずリアルが存在し、そのリアルの断点を繋ぐのがネットの役目だ」という価値観の存在です。こうした方々にとって、ネット上で「しか」確認できない存在とは、リアルのそれと比べて何百分の1程度の信頼しか持ち得ないモノに見えるのだと思われます。」
そしてさらに、もう一つの踏み絵と、世代間仮説をそれぞれこう述べられている。
(踏み絵) 「あなたにとって、ネットは現実の断点を繋ぐ「通信機」ですか?それとも、ネットは人生に於いて生活の価値を感じる「社会」ですか?」
(世代間仮説) 「コンピュータ世代の人は、コミュニティに於けるコミュニケーションを、「価値ある情報に近づくための手段だ」と考えることが多いようです。情報交換を重ねて、価値ある情報という「結果」が得られれば目的が達成できる、その過程に於ける対話は手段でしかなく、結果が生み出せない対話は価値が薄い、と。ネット世代の人は、コミュニティに於けるコミュニケーションそれ自体を、生活に於ける「娯楽」の要素として捉えていることが多いようです。そこに於いては、より良い情報が引き出せるかどうかは「二の次」であり、その過程に於ける対話の連続そのものに楽しみを見出しているのだ、と。」
読者の皆さんはどう思われるでしょう。僕はなるほどと、かなり納得しました。
「信頼」に対する2つの仮説
さて、「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」をなぜ信頼できるのかという観点からは、二つの面白い仮説があった。一つは、「A big bear coming out of hibernation」の「ネット世代の本質」。
ネットの向こうを信頼できるか否かは、「インターネット(ネットワーク)に貢献している経験の有無」に依存するという考え方だ。確かにPC世代の人たちはネットで過ごす時間がネット世代に比べて圧倒的に少ないだけでなく、ネットを受動的に使っている人が多いと思う。
「例えば私は無名の権威の全くない人間であるが、自分のこんなエントリでさえ、ある程度の時間をかけないと書くことができないし、インターネット上では、全世界中の有名無名の多くの人により、本当に気が遠くなるような延べ時間が費やされて情報の発信がなされている。しかし理屈ではそのような現象を想像することができても、『インターネットの向こう側を信頼できるようになる』には、前提として、自分がインターネットを信頼に値する経験を持っているのか?ということが大きなドライバーになると思う。つまり個人の観点で、『インターネットの向こう側を信頼できるようになる』には、『さまざま情報から信頼感を想像できる領域から、体験としてその信頼感を分かっている領域まで到達すること』が重要な要素だと思う。」
もう一つの仮説は、先週の本欄でゲストブログをお願いした岡田正大氏の「本当の意味でのネット世代とは」。
ネットの向こうを信頼できるか否かは、自分自身を信頼できるか否かということの投影だ、という考え方だ。
「不特定多数の知のクオリティや信憑性を「自ら判断できる」人間だけが本当の意味で「ネット世代」といえるのではないか、ということだ。自ら物事の価値を見抜く尺度・価値観を持っているからこそ、不特定膨大多数の知を躊躇なく受け入れることが出来る。」
確かにそういう側面もあろうが、そんな強い人間ばかりをネット世代と定義するのはちょっと厳しすぎるのではないかと思う。むしろ「A big bear coming out of hibernation」氏の意見のほうに僕は共感するなぁ。
ただ、[yxy] blogの柳澤康弘さんは、岡田氏の意見に強く共感し、こんなことを書かれている。
「まさにそのとおりだと思う。(としか言いようがない)ウチの親とかも、ネット上でちょっと情報量が多いものに突き当たると日和ってしてしまうし、そもそもそういうものにあまり積極的に触れようとしない。おそらく、「自分は多くの情報を処理できない」と自ら定義してしまっているからだと思う。「もっと短く説明しているところはないの?」とかいう質問をしてくるのはその現われだ。ネット上の膨大な情報を自分で処理できる自信がなく、リアルな知り合いである自分の子供が(ネット上の情報を処理した結果として)提供してくれる情報なら信用できるはず、との判断が働くのだろう。」
ネット世代内の新旧
そして思わず赤面してしまったのは、「観測気球」の「ネット世代と言っても、実はさらにその内部に世代があるのではないのか?」から、こんな指摘を受けたから。本欄5月21日「Blogは究極の知的生産の道具」の中で、全く意識せず、僕が「カット&ペースト」という言葉を使ってしまったことについて、
「実際には「カット&ペースト」も「コピー&ペースト」も区別せず、常に「カット&ペースト」と言ってしまう/書いてしまうのが、インターネット黎明期(mail と netnews のみが主要なネットアプリケーションだった頃)からネットを利用している人。ちゃんと区別して言う/書く人が、Web 登場以降、もしくは Windows 95 登場以降にインターネットを使うようになった人。というような世代に分けられそうな気がします。そういう意味では、梅田さんも私も「古い」ネット世代。最近は、ちゃんと「コピー&ペースト」と書くようにしてますが、口で言うときは、つい「カット&ペースト」と言ってしまいがちな私 (^^; 」
なるほどねぇ。ただ僕自身は古い「ネット世代」と言うよりも「PC世代」だと思います。まぁ、話は尽きないが、今日はこのくらいにしておきます。ご批判・ご意見、大歓迎です。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
名無し on 2004/08/31
CK殿が「私たちがネットを通して見ているもの・築いていくもの」で提起した「匿名の相手に対して人格を認められるか」という問題ですが、実はそれ以前に「匿名とは何か?」という問題をきちんと議論しないとこの設問、さらにはネットの存在が問題の本質なのか否かについて、根本的な誤解を招く恐れがあります。
Slashdot Japan(以下/.-J)では、Anonymous Coward(以下AC)による投稿において、「#123456のACです」(#123456は投稿番号の例)という記述が見られます。このような投稿が調べれば出てくることを鑑みると、ACで投稿する人物とて、各々の投稿に対して投稿者が同一であるということまでも隠蔽しようとはしていない(むしろ積極的に同一人物だと主張している)ようです。2ちゃんねるではそこまで調べたことがないのでわかりませんが、Winny事件で起訴された金子勇被告を2ちゃんねるでの記事番号で「47氏」と呼んでいるあたり、似たような傾向はありそうです。また、両者のいずれでも、脊髄反射的に反論してくるのはだいたい同一人物だろうと予想することは可能です(試しに、自分でバカの振りをしてやってみたら、名前を隠していてもきちんと当てられてしまいました)。
このような事例をふまえて2ちゃんねるや/.-JのACの「匿名性」を考えると、これは高々「普段2ちゃんねるや/.-Jに出入りしていない人には、発言主の名前を知る手段がない」という程度の意味にしか解釈できません。決して「任意の2つの発言があった時に、これらが同一の発言者によるものかどうかが、任意の人間に知られないことを保証する」というほど強力かつ純粋な性質ではなさそうです。イメージとしては、プログラミング言語でいうところの「名前空間」と同じようなものでしょう。ある名前空間の中にどっぷり入ってしまえば、その中では自分の名前がわかってしまうこともあるのです。
実は、このように「限られた名前空間だけで通用する名前を用いる」ことは、2ちゃんねるが世界で初めてではありません。世界的に有名なのは、アメリカなどでよく見られる「○○ Anonymous」でしょう。もっとも歴史が古いものの一つがAlcoholics Anonymousで、その名の通りアルコール依存症の人達が依存症から脱却するために集い、禁酒の実践や情報、経験などを共有する団体です。団体のメンバー同士では、自分の名前を出し合います。しかし、団体に確実に所属しているとはわからない人物に対しては、決して誰が団体に入っているのかを明かしません(*)。Alcoholics Anonymousの設立は1935年だそうで、2ちゃんねるなんか吹っ飛ぶぐらい長い歴史を有しています。
そんなわけで、私自身は2ちゃんねるやSlashdot(含Japan)のAC自体は有意義な存在であるものの、新奇性があるとは考えていません。どちらかというと、アメリカの「○○ Anonymous」をそれと知らずにネット上で再現してみただけという印象です。まぁ、今blogを書いている人達が「○○ Anonymous」を意識するとはあまり期待していませんが。もともと日本には「○○ Anonymous」のような団体があまりありません。そのような団体の価値が認められたのも数十年以上前、大昔のことです。「○○ Anonymous」の存在を知らず、あたかもネットのみが支配的な要因であるかのように思い込んで車輪を再発明しようとするのも仕方ないのかも知れません。
(*) フィクションではあるが、Amanda Brownの小説「Legally Blonde」では、殺人事件の被告Brook WindomがShopper Stoppers Anonymous(ショッピング依存症者のための団体)に所属している。Brookには、事件当時Shopper Stoppers Anonymousの会合に参加していたというアリバイがあった。しかし、尋問では匿名性を死守しようと、ギリギリまでアリバイの立証を自ら拒否した。無実の罪と引き換えにしてでも匿名性を守ろうとするのだから、会合で顔を合わせていたメンバーにはよほどの信頼や義理があったのだろう。
谷村 正剛 on 2004/06/08
ranpou on 2004/06/08
実際問題として、嘘かどうかなんて二の次でしょう。それが見抜けるかどうかなんてことを基準にしている人は、きっと私と同じ古い”世代”です。ネットに真実を求めているという点で。
嘘でも本当でも、書き込みのノリとして楽しめるかどうかが重要なんだと思います。どんなに真実でも、つまらない話に目を通したくないですから。
そう割り切っても、なお、この書き込みの5つ上にあるような他人を批判する時に名乗らない文章は、仮に言ってることが正しいとしても受け入れられないというのが、私が自分を古い世代だと認識する基準です。
ranpou on 2004/06/08
ネットで生きているオジさんチームの一員としては、ニュースであれブロッグであれ、「ガンダム」ネタが出てくると引いてしまいます。あと、アニメ風のページデザイン。
良い作品もあるでしょうし、アニメの経済効果も認めますが、「この人に任せて大丈夫?」と感じてしまいます。
人間が好きです。人の顔が入っているページデザインが好きです。置いて行かれそう。
BeKohs on 2004/06/08
mitoyuki on 2004/06/08
ネット世代内でもジェネレーションギャップがあるというのは、以前から私も感じていました。ただ、私の場合は「パソコン通信世代」と「インターネット世代」という違いだと思ってました。厳密には、「パソコン通信+初期インターネット世代」と「一般化以降のインターネット世代」かもしれません。これは、今のようにネットの向こうの人間が本当に不特定多数なのではなく、ある趣味を共有している「仲間」という認識があったかどうかの違いです。いわゆる「草の根BBS」全盛期は、仲間だからこそ、ハンドルネームであってもある程度の信頼関係を結べたのです。電波新聞社の「BBS電話帳」を片手に、興味のある全国のBBSを見つけては電話してみて、ゲストで書き込みの様子を見て、自分に合うと思うとアカウントを取る。この時点で、見たこともない相手であっても、仲間意識があったと言えるでしょう。(電話代のかさむ地方のBBSに興味を持ってしまった時など、恨めしく思ったものです。)掲示板を荒らすやつは、そのサイトの管理者によってアカウントを削除されたりしましたしね。インターネット以前のニフティのような商用BBSでは、単にアカウントを持っていても仲間とは限らないので、実名を公開しないと書き込めない掲示板などもありました。
私は今まで2ちゃんねるに興味は無かったのですが、それは「どうせ昔のパソ通と同じ」と勘違いしていたからです。でも、電車男のログを見て、それが間違っていたと感じました。ハンドルも名乗らない多くの「名無しさん」が、無くてはならない存在なんですね。パソ通の頃は、この手のユーザーは”荒らし”しか居なかったものです。なぜなら、ハンドルを名乗らない理由は、名乗れないような書き込みをする以外に無かったからです。でも、2ちゃんねるは明らかに違うように見えます。そもそも”名乗る必要が無い”のです。ネチケットなんてクソくらえ、というか知らないかもしれません。しかしこれは、マナーが悪くなったのではないのです。「パソ通+初期インターネット世代」=「ネチケット世代」とするなら、本当に不特定多数の人間とコミュニケーションを楽しむために、自己防衛の手段として「名乗らない」必要性が生まれた「名無しさん世代」と言えないでしょうか。
つい最近まで、私は自分のホームページでプロフィールを公開していました。これは、パソ通の頃の意識の延長で、「自分を隠すような後ろめたいことはしていない」という自負があったからです。ところが、私の問題ではなく、見ず知らずの相手から、私のホームページでの写真や文章のみで気に入られ、メールで告白されてしまったのです。私はずっと拒絶していますが、海外赴任から帰国し、夫とも離婚したというメールを受け取って、怖くなってホームページからプロフィールを削除しました。ネット上で自らを明かすことは、他人から信頼されるという利益よりも、自らを危険にさらすリスクの方が高い時代になったのだと思います。インターネットを誰もが利用するようになった今、それを敏感に感じ、それでも不特定多数の誰かとコミュニケーションを楽しむ手段として生まれたのが、「名無しさん」を受け入れる「2ちゃんねる世代」なのではないでしょうか。
ranpou on 2004/06/07
Gen:
> うまく説明できないですが,私は,はっきり言って,このような世代がでてきたことに恐怖を感じました。私はきっと古い人間だと思います。でも,自分としては,この恐怖は,正しい感覚だと思っています。
どういう意味で“正しい”と思われたのかわかりませんが、'63年生まれの私も十年ほど前に雑誌「ブルータス」の子供特集でPCを使いこなしている当時の子供たちの記事を読み、ゾクゾクしたことがありました。「コンピュータ使いという点ではきっと彼らには適わないんだろうなあ」というような。十何年か前に「新人類」「ニュータイプ」のような言葉が流行ったと思いますが、そのキーワードを実感したというか。
当時の子供たちって、大学生だったり社会に出て来始めたりしてるんですよね。Mosaic出現から数えても十年経ったんですもんね。
zoffy on 2004/06/07
Gen:
> それらのログが残ることであとでその女性に自分のことが書かれている事に気づかれるという心配をまったくしていないこと。
その後、彼が彼女にログを見せたら「みなさん、いい人たちですねー」みたいな反応があったというコピペが「記帳所」にありましたね。「心配? 何で?」と思ってることでしょうね、彼は。
> それは,本当に心のそこから「当たり前のことだよ」という,まったく疑う余地のない行動として表現されていることに驚きました。
はい、正に“当たり前”のことなのでしょう。しかし、
> 彼の行動は『ネット』に対して行われているのであって,その向こうの『不特定多数』の存在すら,見えていないのではないかと思えるくらいです。要するに向こうもこっちもない。
その区別は付いているでしょう。ただ、その区別の仕方が違うのでしょう、彼らとあなたとの間では。
zoffy on 2004/06/07
on 2004/06/06
私は電車男を読みながら一人で「うわ!」「まじかよ!」などとつぶやき、笑ったり真剣な顔になりながら完読しました。
その後にこのblogやトラバなどを読んだわけですが、なるほど、傍目で見ていながらも自分が演じているような、ちょっとした錯覚に陥っていたようです。10年ほど前に「ときメモ」を初めてプレイしたあの感覚に近かったかもしれません。
その後さまざまな「演じる」ゲームが発売されました。電車男で一喜一憂した人たちは、そのうちのどれかをプレイした経験がある共通点があるのかな、とふと思いました。これも一つの世代違い?
enp on 2004/06/06
電車男というのはネットを使ったコミュニケーションの一つの側面に過ぎないと思いますが、わたしはギャルゲー・やるドラの究極の形だと思います。参加した人たちにとってはリアルタイムかつインタラクティブなエンターテイメントであったのではないでしょうか。
それを後から読んだ人は、電車男自身のストーリーに加え、彼と参加者との間で作られるストーリー(実際参加者がおもしろいんですけど)に感情移入している。個人的にはインディペンデンス・デイを観るような気分でした。
多くの人が楽しめた、感動した、ということを考えると、例え電車男が嘘の存在であったとしても許されるのではないかと思います。エンターテイメントとしての価値は十分にあったわけです。リアルであることを前提としていたから、という部分はありますが、それがみなで作り上げた虚構であっても構わないようにも思います。
egg on 2004/06/05
buzz_bb on 2004/06/05
S.K. on 2004/06/04
電車男の話を読んでから,言いようのない違和感がずっと残っています。
「こいつはなんなんだ?」と。
その違和感がどこからくるのか考えてみたのですが,生まれて初めてジェネレーションギャップを感じた,と言っていいかもしれません。本当に理解できない人間がでてきたんだということを知らされました。
私は,彼の行動は「不特定多数に対する信頼」とか「雑多な情報・知を自分なりに取捨選択できる」という感覚では説明できないと思っています。
「女性とのいきさつから顛末まで,必ず事細かに報告する」という行動が,リアルな友人ではなく『ネット』という存在に対して何よりもまず先に,そして責任感をもって行われていること。
それらのログが残ることであとでその女性に自分のことが書かれている事に気づかれるという心配をまったくしていないこと。
それは,本当に心のそこから「当たり前のことだよ」という,まったく疑う余地のない行動として表現されていることに驚きました。彼の行動は『ネット』に対して行われているのであって,その向こうの『不特定多数』の存在すら,見えていないのではないかと思えるくらいです。要するに向こうもこっちもない。
想像と現実との境目がない,というと,これもまた無理やり言葉に押し込めるようで嫌なんですが。
うまく説明できないですが,私は,はっきり言って,このような世代がでてきたことに恐怖を感じました。私はきっと古い人間だと思います。でも,自分としては,この恐怖は,正しい感覚だと思っています。
Gen on 2004/06/04
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話題に共通性があるので2ちゃんねるより。
http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/mog2/1093534335/622-
2人のコテハンの話が興味深い。