前回、ウィキペディアの課題は、編集という行為の「意図」と「内容」を切り分けられるかどうかである、と書いた。しかしながら「内容」は常に客観としてウィキペディアというメディアに表出しているのに対し、「意図」はプライベートな主観であって、第三者には把握できない。そうなると、ウィキペディアである人物によって編集された項目が、正当なものであるのかどうかという判断は、「内容」に即して考えるしかない。
では、その「内容」が、ある情報源(ソース)に基づいて、きちんとした論理(ロジック)によって書かれているのであれば、まったく問題はないのだろうか? 編集した人間が、どう見てもその項目と利害関係のある人物であると判断された場合、彼の隠された「意図」を考慮に入れる必要はないのだろうか?
このあたりの判断は、前回の最後にも書いたように微妙で難しい。「意図」と「内容」の関係性に絞って議論を続けるだけでは、堂々めぐりになるだけで埒が明かないように思われる。
しかしながらウィキペディアという枠組みは、この問題を乗り越えるための材料をすでに提供しているように思われる。それはまず第一に、ウィキペディア上では編集行為がすべて可視化されていることだ。私は8月に刊行したフラット革命(講談社)という本の中で、ウィキペディアの編集合戦について次のように書いた。少し長くなるけれども、引用してみたい。
誰でも編集に参加できるウィキペディアには、多くの問題も生じている。その最大の問題は、イデオロギーや政治、宗教に関する言葉について頻繁に起きている「編集合戦」と呼ばれる現象だ。たとえば従軍慰安婦問題や安倍晋三首相に対する評価といった微妙な問題では、誰かがひとつの視点から記事を書くと、それに対して別の意見をもった人間がもとの記事を書き直して自分の視点による評価に書き換えるようなことが起きる。元記事執筆者がまた元に戻し、それに対してまた書き換えられ・・といった延々と続く戦いが起きてしまうケースは少なくない。これが編集合戦である。
(中略)
この問題が深刻なのは、原因が誹謗中傷や罵詈雑言などのノイズにあるのではないということだ。
ウィキペディアの編集合戦をしている人たちは、罵声を浴びせあっているのではない。お互いがみずから信じる理性的な判断のもとに書き込みを行い、しかしその書き込みがイデオロギーや立ち位置、考え方などの違いなどによって歩み寄れないでいる。
罵倒や誹謗中傷のようなノイズであれば、無視してしまえばすむ。しかし立ち位置や世界観、考え方の違いから生じる異なる「理性的な」意見に対しては、そのように簡単に対処すればいいということにはならない。
意見の異なる人たちが、世界観の異なる人たちが、どのようにしてお互いを尊重できるようになるのだろうか?
たとえばイスラム原理主義者と、アメリカのネオコンはネット上でお互いを尊重し、意見を交わしあうことは可能なのだろうか? 従軍慰安婦問題や南京大虐殺をめぐって堂々めぐりの対立を続ける日韓、日中の人たちが、この問題でお互いの意見を融和させることは可能なのだろうか? 世界にはどう考えても相容れることのできない対立がたくさん存在し、そこには妥協の余地はないようにも見える。
だからこの問題は、ウィキペディアだけにとどまらないのだ。世界を覆い尽くすように、そこには意見や認識の分断があり、どうにも乗り越えられない深い河によってこの世界は分断されてしまっている。
本来は、インターネットこそがそうした異なる意見が歩み寄れる場所になるはずだった。しかしネットが社会に普及し始めて十年あまりが経ってみて、その希望は希望的観測にしか過ぎなかったことがわかってくる。意見を異にする人同士は、西和彦が指摘するように、インターネット上ではなかなか歩み寄れないのが現実なのだ。
それはインターネットにとっては危機的状況のようにも思われる。
シンポジウムに登壇したウィキペディア創設者、ジミー・ウェールズは、会場の参加者から「ウィキペディアでの意見の対立はどう解消すればよいのか?」と聞かれ、こう答えた。「とにかく議論。議論を積み上げていくことです」
議論が本当に、問題を解決していけるのだろうか?
それともこの問題は、解決不可能なのだろうか?
ジミー・ウェールズの「とにかく議論」というコメントは、一見牧歌的な理想論にも見える。しかしこの「議論」が、たとえば社内の会議室などで行われている議論と異なるのは、ウィキペディア上ではやりとりの経緯がすべて可視化されていることだ。誰かが自分では客観的であると考えたことを書き込み、それに対して別の人物から「それは客観的ではないのではないか」と異論が出て、さらにそれに対する反論が行われる。そうしたやりとりのすべては可視化されていて、誰でも読める状態でウェブ上に置かれている。
ウィキペディアは、議論の経緯が可視化された編集システムを作り上げている。この結果、解決不可能だと思われている「編集合戦」は、「そこで意見が衝突しているのだ」ということを人々に知らせる立て看板のような役割を果たす結果となっているのだ。省庁や大企業、マスメディアの内部の人間が書き込んでいるというけしからん話も、その事実がウィキスキャナーによって開示されてパブリックになった時点で、受け入れ可能な事実となる。可視化されることが大切なのだ。
もちろん、そこでは意見は決して集約されない。集約はされないが、「議論がある」ということを人々に周知することによって、意見は永遠と拡散していく。議論の拡散は、ワールドワイドウェブの構造を持ったインターネットの世論形成プロセスにおいては、必然的な方向性である。
もちろん、ウィキペディアは意図してこのような仕組みを作り出したわけではない。そもそもウィキペディアは議論する場所ではなく、あくまでも百科事典なのだ。だから書き換えをひんぱんに行うような編集合戦は、ウィキペディアの意図するところではなかったい。本来、こうした議論はブログのようなオープンスペースで行うのがあるべき姿なのかもしれない。
しかしブログスフィアはオープンであるために、場としての求心性がない。ブログという場はまさに「拡散」していくだけなのだ。したがってそこで何らかの議論の集約を求める人たちが、ウィキペディアのようなポータルメディアに意見交換の場を求めてしまうのは、人の行動としては当然の帰結だったとも言える。
しかしウィキペディアはある種の「集合知ポータル」のような存在だから、議論が拡散することを求めているわけではない。議論が集約され、客観的事実だけで編集されていくことを望んでいる。このあたりのウィキペディア側の要請と、参加している人たちの要請がうまくかみ合っておらず、それが結果としてさまざまな齟齬を生み出していると思われるのだ。このウィキペディアと参加者の構造を、マトリクス化すると以下のようになる。
| 参加者の要請 | メディア側の要請 | 結果として生まれる状況 | |
| ブロゴスフィア | 意見表明 | 意見の交換 | 意見の拡散 |
| 編集合戦としてのウィキペディア | 議論 | 議論の集約 | 意見の拡散 |
| 百科事典としてのウィキペディア | 客観的事実の提供 | 事実の集約 | 事実の集約 |
そこでウィキペディア側は、もうひとつの仕掛けをウェブに組み込んでいる。それがアカウント制度だ。このアカウント制度を導入することによって、「編集合戦としてのウィキペディア」から本来の「百科事典としてのウィキペディア」へと徐々に移行していけるのではないかと考えているようだ。ウィキペディアのガイドラインには、次のように書かれている。
ウィキペディアを読むだけならログインする必要はありません。ウィキペディアを編集する上でもログインは必須ではありません。しかしウィキペディアでは、説明責任の観点から、ログインすることを推奨しています。ログインしていない状態で編集すると、利用者はIPアドレスで識別されます。IPアドレスは接続状態によって変化したりするので、同じIPアドレスからの投稿が1人の人物によるものかは他の人には分かりません。何より数字の羅列は他の利用者の記憶に残りにくくなります。ログインしている状態で編集すると、編集が利用者名で記録されます。他の利用者は、利用者名を通じて編集した人物を知ることができます。
そうするとよい理由は、説明責任です。もし、あなたがログインしていなければ、他の人達にとってあなたが書いたものに対するコメントや考えをあなたに伝えるのが難しいからです。ログインしていない利用者を相手にすることをもどかしく感じる利用者がいるため、あなたが寄稿した内容は真面目さに欠けているとされ、あなたの真意が疑われていると感じるかもしれません。
つまりは通りすがりでしかない完全匿名と実名の間に、中間名(顕名)という段階を作り、そこに一貫したアイデンティティを生み出すことで言論に責任を持たせようという考え方だ。この考え方は、今後も少しずつ進展していくのではないかと私は思っている。先ほどCnet Japanに掲載されたネットIDをめぐる議論も、この考えがベースになっている。
そしてウィキスキャナーは、アカウントによる顕名化を後押しする強力なツールとなっている。だからこそ創設者のジミー・ウェールズは、ウィキスキャナーにきわめて好意的な反応を見せたのだった。ウィキペディアの「ウィキスキャナー」の項目には次のようにコメントが紹介されている。
ジミー・ウェールズはWikiScannerによる騒動を「すばらしい…気に入った。このツールはWikipediaにおける加筆者の情報をこれまで以上に得られる。俺はこんなツールを待っていた!」と表明した[23]。別の話では、ウェールズは「これは大好きだ。大いにサポートしよう」と語ったともいわれる。
BBCに対し、Wikipediaの匿名スポークスマンは「このツールはWikipediaの透明性に対して貢献を行い、Wikipediaは次の段階に達しようとしている。WikiScannerは特定機関や個人からの記事編集を低減させるかもしれない」と語った。
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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