デジタル放送にブロードバンドなど世界最先端を行くリッチメディアの配信体制=新たなメディア環境が日本では整いつつある。だが、既存メディアが著作権という仕組みを活用して、自らのビジネスモデルを保護しているが故に、新たなメディア環境での事業機会を逃すというジレンマを抱えるようになってきた。この状況を打開するには、著作権の原理原則に手直しをするという動きもあるが、それよりも重要なことは既存メディアのビジネスモデルの多様化なのではないか
いくつか報告を
あけましておめでとうございます
まずは報告を。この新年5日でMcKinsey & Companyを退職した。主に通信・メディア・エレクトロニクス・ITなどのクライアントを中心に多種多様な課題を手がけたが、4年強という実時間よりももっともっと長い期間を過ごした気がする。いずれにしても、ファームでの経験は今後の僕の人生でも何物にも替え難いものなっていくのではないだろうか
この先、春までは、ここ数ヶ月よりももっと集中して早稲田大学で論文を書く予定。その後の計画は、またいずれここでも開示していこうと思う。とはいえ、いろいろと外の空気を吸わないとダメな性質である。随所に出没するつもりだ。面白い会があればお呼びいただければと思う
いい意味で「糸が切れた凧」的な立場になったので、できる限り考えたことははっきりと書いていきたい
閑話休題。いよいよ本題
コンテンツ不足は著作権が原因か?
地上波デジタル/サーバー型放送、ブロードバンド、FCHケーブルなどなど、誰もが想像していた以上のスピードでリッチ・コンテンツ配信環境が整いつつある。そして、誰もがやはり想像していたとおりに、配信するコンテンツ不足が深刻化しつつある
その根拠を、著作権だと言う人は多い。だが、著作権の何が問題なのだろうか?
著作権は、元々は創作者の権利を保護するためのものだったが、今はビジネスの対象として扱われることのほうが増えている。つまりは、必ずしも創作者の権利を保護するためのものではなく、作品の流通を限定し、希少性を発生させることで、価値を創出するための道具として機能しているということだ
ただ面倒なことに、「作品の流通を限定し、希少性を発生させ、価値を創出する」ための仕組みがあまりに複雑になりすぎて、誰も管理できなくなってしまったのだ。結果、著作権ゆえに新たな環境での再利用に対応できず、流通配信がなくなってしまった。だから、著作権制度がよくない、と言う声が高くなってくる
もともとは生放送しかなかったテレビ番組や劇場での上映しかなかった映画の制作上の契約慣習がそのまま残り、本来利用者を保護し、新たな収入機会を確保する著作権の存在ゆえに、気がついたらテレビで「しか」流せない、映画館で「しか」上映できない作品ばかりが残った。が、誰もがわかると思うが、これは制度そのものの問題ではなく、制度の運用上の問題、すなわち民事=契約の問題だ
だが、それが故に面倒なのだ。民事は当事者で解決する、というのが原則なのだから
民事ゆえに面倒な著作権管理
流したければ流したい人が、配信のために必要な追加契約を関係したすべての「創作者」全員と改めて交わすことが必要になる。そのために必要な機会費用ともなると、膨大な直接費用以上で、創作者本人「以外」との交渉も数多く出てくるはずで、実質的には困難な場合が多いだろう
そこで、民事契約の原則をオーバーライドして、いっそ制度ごと改めてしてしまえ、というのがひとつの意見ではあるが、それが簡単なのであればいいがどうもそうはいかない。というのも、テレビ局と制作会社のように、制作著作権がなぜか創作者本人とは異なる人物や団体に帰属している場合が多いのだ。制作著作が創作者と異なる人物に帰属していると言うことは、その根拠として経済的な出費を伴った場合が多い。が、制度ごと改めてしまうとすると、作品に投資を行った人物らの収益モデルが崩れる可能性が高い。当事者たちは猛烈に抵抗するだろうし、何らかの形で補償する必要が出ても来よう
過去の作品については斯くの如く大変な手数と議論、そして手続きが必要なことはわかる。だが、今後作られるであろう作品については、著作権制度そのものに原理的問題があるわけではないため、契約さえ将来への自由度をもって行っておけば、それほどの投資をする必要はない
確かに著作権をクリアした過去の作品=アーカイブを持っていれば、無から有を生む大きな収益源となるだろう。だが、著作権をクリアすること自体が大きな費用を伴うのであれば、一時的にせよその費用を担保する必要がある。果たしてすでにある程度アーカイブビジネスの実績がある映画はともかく、テレビ作品のアーカイブの価値がいかほどのものになるかはわからない限り、その投資は大きなリスクを伴うはずだ
過去にこだわるよりも未来への投資を
もちろん、過去の作品を捨てろとはいっていない。だが、それにこだわる必要はないだろうと言っているだけだ。著作権そのものの原理原則の改変を議論する一方で、事業としてのプライオリティという点では、平行して新しい作品でブロードバンド配信に耐えうる契約を用意した方が賢いはずだ
特に、日本国内の過去作品よりも、あらかじめ海外市場を前提とした作品であれば、リクープ機会が増加する。であれば、制作費についても上限を高めることが可能だ。また、映画「Matrix」のように、実写映画、DVD、ゲーム、アニメなどを同時並行して制作したり、統合した契約や同じライブラリを使うことで制作コストそのものを大幅に圧縮することもできるだろう
ただ、その場合、テレビ番組のように電波料ということで広告主から得られた範囲の制作費では、出資額としてはおぼつかないし、日本でよく行われる投資リスクをあらかじめ最小化するために行われる製作委員会方式であっても十分に投資リスクを最適化はできないだろう。そもそも、創作者でもなく、実質的な出資者でもなく、ただ配信するだけのテレビ局が著作権を全て保有するという仕組み自体に疑問が生じてこよう
であれば、ハリウッドメジャースタジオ方式のプロダクションスタイル、資金を調達するスキームを整備することで基本著作権を押さえ、投資する作品をポートフォリオ化することでリスクを分散し、同時に配信手段を多様化、冗長化、そして国際化することで、回収率を高めることが可能になるだろう
これは、結果的に、既存メディアの制作と配信の仕組みの分離を促進することになるだろうが、それを行政が強制するよりも早く自ら導入し、事業としては制作・配信分離をしているものの実質的には垂直統合を維持することで競合優位に立つ仕組みを一部でも導入するのは、悪くない選択肢だろう。また、既存のビジネスモデルとの並存が可能であり、広告モデルを否定するどころか、減少するであろう広告収入をカバーし、既存広告主を引き止めることができると思う
過去の作品の運用を容易化するために著作権制度そのものを改定することも必要ではあるが、産業の活性化という視点では限定的な効果しかない。であれば、現行の著作権制度であっても、既存産業構造で許される範囲内で制作し、多様な配信を可能にする仕組みを構築する。結果、産業構造そのものを逆に最適化していくという手順をとるのも、ひとつの選択肢ではないだろうか
副産物として既存メディアとコンテンツ産業が活性化され、国際競争力を確実に獲得できれば、本末転倒ではあるもののメディア産業の最構築がなされるのではないだろうか
# 自宅のソファでBasiaを久しぶりに聞きながら
※このエントリは CNET Japan ブロガーにより投稿されたものです。シーネットネットワークスジャパン および CNET Japan 編集部の見解・意向を示すものではありません。
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